娘の園のお迎えの時。
ちょうどお迎えが一緒になったお友達が。
娘は張り切って、
「一緒に帰るー!!」
と、お友達の支度が終わるのを園庭でウキウキ待っていました。
すると、お友達からのこの言葉。
「あかりちゃんと一緒に帰りたくない・・・」
お友達はお母さんに向かって訴えるように言ったのです。
このところ帰りがよく一緒になり、その度に一緒に帰りたがる娘。
それに対し、特に一緒に帰りたい訳じゃないお友達。
でも一緒に帰ると、いつも楽しそう。
私はこの直接的な言葉が娘の耳に入っていないか、
ドキドキしながら娘を見ると・・・
どうやら聞こえてたみたい。
娘がどうするのか、見守りました。
私に泣きついてきたら、傷ついてたら、どうしよう・・・
そんなことを考えながら。
すると、
しばらくはお友達の様子を遠目に見ていました。
が、
「ねぇねぇ、一緒に走って帰ろうよ!」
「ねぇねぇ、かわいいお花があったよー、見て見て!」
「ねぇねぇ、ワンワンがいたよ、なでなでしよーっと!」
誘う、誘う。
一緒に帰ったらどんだけ楽しいか、まるでプレゼンしてるみたいに。
結局、仲良く一緒に帰ったんです。
(ま、お母さんは気を使って私に謝ってましたけど。)
なんだか、娘の強さにハッとさせられました。
でも、よくよく考えてみると、
娘が傷つく
そう勝手に想像したのは、私の過去の経験データから。
断られる=嫌われている
という思い込み。
子どもの世界って、まだ過去の経験が少ないから、
断られても、「嫌われてる」にはならないんですね。
しかも表現が直接的な言葉だからキツく聞こえる。
「あの人に会いたいなぁ」
そう思っても、「やっぱり忙しいかな?」と勝手に想像して
やめたりすること、ないですか?
断られるのを無意識に避けたりすること、ないですか?
でも、誘ってみたら実際にはすごく楽しい時間を過ごるかもしれない。
もし断られたとしても、その時は単純に気が乗らなかっただけかもしれない。
なんなら、嫌われる事も生きる上では避けられないことですし。
なんだか、必要以上に傷つくのを恐れていたんだなぁ〜、と。
大人になるにつれて、臆病になってしまうって、なんだかもったいないですね。
大人になるにつれて、智恵も得ていく訳だし、経験値も上がるんですから、
どうせなら自分の気持ちに正直でもっと自由にいたいです。
「あかりちゃんと一緒に帰りたくない・・・」
この言葉に傷付いたのは、実は、私、だったのでした!
と、ここで思い出した津留晃一さんの言葉。
この宇宙において、あなたを傷つけることができるのは、あなた自身の
考え方以外には存在しません。
あなたはあなたが〈良くない〉と考えているものによってのみ傷つきます。
つまり、私は
断られる=嫌われる=悲しいこと=良くない
という私の考えによって傷ついたのです。
娘に投影して。
勝手に。
大きな気付きでした。